多くの鉄山師が割拠した中で、近藤家が唯一、最後まで鉄山を経営し続けられたのか。合理的な経営を心掛け、また地域との協調を何より尊重し、広く優秀な人材を求めたことなど、その一貫した経営理念を考えます。また歴代当主が傑出した経営者としてあり、初代から七代までそれぞれの功績を紹介します。
日野町黒坂の森家で再発見された重仲直筆の歌集『農暇拾穂集』は、重仲の生涯の謎を解く手がかりを多く含んでいます。言い換えればこの歌集は、生涯を綴った「日記」のような存在で、一首一句を丁寧に読み解いていけば、重仲がいつどこで何を考え何をしていたか?が紐解いていけるということのようです。それに加え、重仲が出奔した奥州での現地調査を重ねると、今までの重仲に対する評価を大きく覆すことになるとのことで、ここでは高橋氏の論文の概要をご紹介していきます。
村下が厳選した土で製鉄炉を作るところから始まり、火を入れて温度を上げ、炉内の状況を見ながら機に応じて調合した砂鉄を投入し、鞴(ふいご)を踏む番子に指示を出して風力を調整し、4日目の朝、炉を壊して鉧を取り出す。全ては経験則で鉄づくりを行なっていたそのプロセスはとても興味深いものです。
平成24年度、文化庁の助成を受けて制作した小冊子です。
冊子の方は在庫がなくなってしまいましたので、ここで公開させていただくことにします。
たたらとその周辺のことを網羅的に記載していますので、興味があるところから拾い読みをしていただくのも良いかと思います。
※無断転載などはくれぐれもご遠慮ください。
「たたら」では、日野地方の方言も交えて独特の言葉が使われ、用語の読み方や意味がわからないことから「たたら」そのものが理解しにくくなっているということがあります。
ここでは用語をアイウエオ順に並べていますので、不明な言葉が出てきたら気軽にその都度、調べてみてください。