たたら古道

日南町の菅沢から日野町上菅を経由し、都合山を通って日南町花口に至る、今は通称「たたら古道」。かつては「たたら」の物資運搬道でもあり、また陰陽を結ぶ最短距離のルート「玉島(備中裏)街道」として、とても往来が盛んであったと伝えられますが、近年、南部町経由の国道180号が通り、広域農道が整備されたことなどにより、人が通行することは殆どなくなっていました。。

 

 「たたら古道」プロジェクト

2016年、日野軍★みらい創生デザイン会議が日本財団の助成を得て、かつて生活道として多くの人が往来していたものの、いまは荒廃してしまった日野郡内のルートを、「たたら」を初めとした地域の歴史文化を訪ねながら散策できるように再度復元しようという取り組みを行いました。。

 


先行して2005年(平成17年)には、上菅側から「都合山たたら遺跡」まで、都合谷川沿い約2kmの荒れ果てていた道を、地元のまちづくり団体「里山元気塾」が中心となって整備され、「たたら街道」として復元。折しも「都合山たたら遺跡」の発掘調査で、学史的にとても貴重な遺跡であることが実証され、ウォーキングイベントなども度々実施されるようになり、2017年(平成29年)には地方創生事業の一環で、橋の架け替えなどもなされました。しかしその先、花口まで(花口ルート)と久谷を経由する菅沢までの道(久谷ルート)は、その存在を話には聞いていたものの、実際に歩いた人が仲間内にはおらず、PJTではまずそのルートの確定が最初のミッションとなりました。特に久谷ルートは槙ヶ垰(まきがたわ)の辺りの道筋が見えず、何度か現地踏査を重ねてやっと確定しました。


久谷ルート(菅沢〜槙ヶ垰〜久谷〜上菅)

かつての道筋は何処に!?難攻を極めるルートの確定。


ボランティアを募って草刈り、伐木、復元作業!

ルートが確定したら次は歩けるように、繁茂した草や雑木を成敗しなければなりません。そこでボランティアを募ってその作業に当たることにしました。

 

日南町菅沢、菅沢ダム湖畔に集合して、そこから南に向けてほぼ一直線。槙ヶ垰までは比較的平坦で、作業量は少なくて済みました。槙ヶ垰は切り割りになっていて、数十年前には上菅駅までこの道をバイクで通って通学した・・・という昔話も納得できます。

しかしその先100mほどは、道筋が見えないほど低木が生い茂っていて、おまけに湿地となっていて苦戦を強いられましたが、それでも何とか開通。

そこから上菅までは何ヵ所も、倒木が道を塞いでいたものの森林を管理するための林道が敷設されており、今は1〜2世帯が居住されている久谷集落に到着。この辺りは、かつては田んぼであった平地は造林されて杉や桧が林立、また谷沿いには休耕田がいくつも散見されます。ただし「奥日野のインディー」の異名をとるF氏によれば、古いたたら場跡が何ヵ所もあるのだとか。久谷集落から上菅に向けては生活道路なので作業不要。無事、この久谷ルートは全線歩行可能となりました。

それにしても歩行のみで移動していた昔の人たちは、努めて直線のルートをもって短い距離となるようにされていたようです。比較的高低差の少ないこのルートはいつの頃か、車両が通行可能な道路にする計画が持ち上がったとのことですが、一部の住民の反対で実現しなかったのだとか。下手に道路をつけたりすれば土砂災害の原因になったりもするので、確かに考えものではありますが、もし道路が開通していたら周辺の生活ぶりももう少し違ったものになっていたかも知れません。

 


たたら街道(上菅〜都合山たたら跡)

谷川の瀬音を聞き、滝を愛でながら。

2005年(平成17年)、上菅側から「都合山たたら遺跡」まで、都合谷川沿い約2kmの荒れ果てていた道を、地元のまちづくり団体「里山元気塾」が中心となって、草刈りや橋をかけるなどして整備し、「たたら街道」として復元〜命名されました。その時に架けられた橋はガードレール。ボランティアを募って、全て人力で運んだものですが、そうした努力によってその後、ウォーキングイベントなども度々実施されるようになり、2017年(平成29年)には地方創生事業の一環で、今度は木製の橋に架け替えられました。

片道約2kmのこの道沿いには、「上菅五滝」と称される表情豊かな水の流れを見ることができ、とても平坦なので新緑や紅葉の季節などはトレッキングに最適です。

ところで「五滝」とは言うものの、その5番目、「獅子ヶ滝」の所在がはっきりとはわかっていませんでした。しかし2022年に行なった「幻の都合谷鉄穴を探せ!イベント」で確かめられた上側の「砂鉄選鉱場」のすぐ側にある切り立った大きな岩場が、いかにも「獅子」の風情ではないか?とのことで、とりあえずそこを「獅子ヶ滝」としています。

 


川岸に二つの砂鉄選鉱場跡

川沿いの道を上流に向かっていくと、途中、川の反対側にかつて砂鉄を採取していた場所が二つあるはずです。

草が生えていたり倒木があったりすると見つけにくいかもしれませんが、土砂を流した水路跡や石列など、その名残が残されています。


都合谷鉄穴の全容(現地にこの看板が立っています)

これが「獅子ヶ滝:か???


いくつかの滝と道の風景(土井垣さん撮影)

花口ルート(日南町花口〜都合山たたら跡)

標高約370mの都合谷たたら跡から、都合谷川に沿って林道が緩やかに上流へと向かいます。林道は標高500mほどのところで途絶え、そこからは谷の斜面を辿りながら、さらに上流を目指すことになります。

坂を登り切ったところから、昔の炭焼きの跡とか、「馬しゃっくり」と呼ばれる登り〜降りが別ルートとなった急坂とか、花崗岩の巨石とか、いくつかのたたら場跡とかを見ながら花口集落へと下っていきます。

このエリアでは古く江戸時代前期以前から、地元の豪農にして鉄山師であった、矢田貝家や田辺家によって盛んにたたら製鉄が行われ、その痕跡を見ることができます。

坂を下り切った辺りには、旅人が旅の安全を願い、衆生の苦しみ救済を祈った六地蔵が並んでいます。