テーマ「古民家」/日野町編

日野郡内に残る古民家、その昔「たたら」が隆盛を誇っていた頃の記憶をとどめています。

大鉄山師 近藤家住宅/根雨

「たたら製鉄」で栄えた当地に残る古民家は、江戸末期から明治初頭に建てられ、その多くがたたらの歴史を現在に伝えています。

中でも根雨の大鉄山師、近藤家住宅はその代表格で、たたら製鉄で栄え、地元の文化や産業発展に寄与した根雨を代表する旧家です。居宅は松江藩が参勤交代で用いる出雲街道の宿場町根雨宿のほぼ中央に位置し、元治元年(1864)建築の主屋をはじめとして、江戸時代後期から明治期に建築された複数の土蔵や離れが残存しており、鳥取県西部の山間部における、屋敷構えが良好に保存された大規模民家としてとても重要です。

街道に面した主屋は建ちの高い二階建ての町家建物で、鳥取県内における二階座敷を持つ町家の最古例であるとともに、全国的にみても早い段階の二階建て町家として学術的に重要だと言われます。

また、棟札や家相図を含め、多くの史料により屋敷地の変遷をたどることができ、家業である製鉄業の繁栄とともに増改築を繰り返した経緯を垣間見ることができる点でも歴史的な価値が高いとされています。


たたらの楽校根雨楽舎(日野町公舎)

「たたらの楽校・根雨楽舎」は明治初年の建築で、昔は「出店近藤」と呼ばれ、たたら製鉄による鉄の商いをしていた趣のある町屋建築。近藤家住宅の向かいにあり、近藤家の出店として、多くの手代さんや女中さん、遠方からの来客などが賑やかに集っていたそうで、現在は日野町公舎として在り、その1階にたたらの紹介パネルを掲出しています。1階の奥には庭に面して畳の続き間、2階は3部屋を通して1空間としてギャラリーとしたり、また会合や食事ができるスペースとなっています。

裏庭には「日野町歴史民俗資料館分館」があり、「都合山たたらの高殿模型」が展示されています。

 


日野町舟場 古民家沙々樹(佐々木家)

JR伯備線根雨駅から徒歩5分、日野川を渡り間地峠へと向かう旧出雲街道沿い、アクセス良好な場所に位置する古民家です。

佐々木家主屋は江戸後期(1829年)の建築で、床の間の意匠や差鴨居、大黒柱の柱心が土間側へ移動する「逃げ」など当時の建築の特徴を見ることができます。

 

主屋前方の南西にあり北面する穀蔵は置屋根形式で、切妻造、妻入とし、正面に下屋庇が付いて、扉口は二所設けられ、内部は一階を二室に区切り、二階を一室としています。東側の扉口には石製の楣が用いられ、主屋と同時期の建築で、大規模農家の往時の暮らしぶりを今に伝えています。

また明治期を中心に使われていた囲炉裏や石臼、唐箕(とうみ:大豆などを実と殻に分ける器具)、燭台、龕灯(がんとう:携帯用ランプ)、農耕牛用のわらじ、龍吐水(りゅうどすい:消化道具)などの民具も数多く残っています。ご予約での宿泊も可能で庭付きの部屋にてゆったりとした時間をお過ごしいただけます。

根雨 ゲストハウス「俺ん家(おれんち)

根雨の町を南北に抜けるメインストリートの南端にある民家を、平成30(2018)年に通称「ハックショ〜ン大作戦」と呼ばれている事業で、ゲストハウスとしてオープンさせたのがこの「俺ん家」。町内で「ブランチ」という飲食店を経営するオーナーの自宅で、前々から宿泊施設にしたいという希望をお持ちだったことから、それに日野軍★みらい創生デザイン会議と鳥取県日野振興センターが連携して応え、実現したもの。ちなみに「ハックショ〜ン」とは、観光交流に必須の「宿泊・食・オプション」を合わせた言葉。

アットホームな雰囲気のゲストハウスで、良心的な価格。気軽に利用できます。

日野町に残る貴重な建築物

日野町歴史民俗資料館(旧根雨公会堂)

根雨の町並みを見下ろす高台に建つ瀟洒な建物。切妻造・妻入で、設計は大阪三越百貨店技師の岡田孝雄という方。間口9間、奥行16間半、木造2階建ての大規模な建物です。外観は周囲の町並みに調和するように配慮され、庇を回して抑えた意匠となっています。正面の妻壁を飾るマークが「根雨のネ」と文化の「文」を示しています。

昭和15年に落成したこの旧公会堂は、奥日野の大鉄山師 近藤家の第7代目当主寿一郎氏が根雨町(当時)に寄贈、コンサートホールや映画館、時にはダンスホールとして多くの方に親しまれてきました。昭和61年からは日野町歴史民俗資料館となりましたが、平成9年には国登録有形文化財にも指定された貴重な建造物です。

 

質素を好んだ寿一郎氏の「田舎のまち並みに即した外観とするよう」との意向に沿って、抑えたニュアンスの色彩が選ばれ、シンプルで洗練されたたデザインの外観、古代ローマ建築に見られるコロネード様式を取り入れた、2本の円柱が目を惹きます。

寿一郎氏はまた「内部は都会の劇場のように華やかに」との考えであったことから、内部はその意を汲んだ意匠が随所に凝らされています。1階は大ホール、2階には映写室と観客席、それに小ホール(または貴賓室)もあります。現在は様々な民俗資料が展示されていますが、当時は座席が配置され、1,200人の観客が入れたそうで、根雨のまちは文化や政治の最先端を行っていたのです。

 


旧山陰合同銀行 根雨支店

旧山陰合同銀行根雨支店の建物は、たたらの文化と歴史を語る上でも、根雨のまちなみ景観を形成する上でも唯一無二の貴重な建物です。

前身である根雨銀行は、明治30年に近藤家五代目当主・喜八郎が設立しました。同行は昭和2年に雲陽実業銀行に吸収合併され、同根雨支店となりましたが、その後、昭和6年に旧松江銀行と合併して松江銀行根雨支店に、昭和16年には松江銀行と米子銀行が合併して山陰合同銀行根雨支店となりました。

この建物は、雲陽実業銀行時代の昭和4年に建築されたものであり、伝統的な街並みの根雨宿にできた洋風建築の建物は当時、大きなインパクトを与えたと思われます。

昭和初期の洋風銀行建築としても希少で、現在でも根雨宿のまちなみ景観を形成する上でたいへん重要です。平成8年には、県民に親しまれている建築物、本県の歴史・文化を物語る建築物などが選定される「県民の建物100選」にも選ばれるなど、町民に親しまれている建物で、今後どのように有効活用されるか楽しみです。