山内と製鉄施設

★山内とは高殿などの製鉄施設、事務所や倉庫、職人たちが暮らす住居などで構成された集落。

★その設置場所は「小鉄七里に、炭三里」といわれ、砂鉄や木炭の調達に便利なところが立地として選ばれた。

★また、風を遮る壁山を背にし、水利にも恵まれていることも大切であった。 

★物資調達、特に燃料とする大炭の運搬が遠距離になって難しくなると、建物を解体して適地に集団移転した。 

★炭焼きの原料とする樹木が成長し、条件が改善すればまた同じ場所に戻ることも多かった。

★現在、日野郡内で確認されている「たたら跡」は数百箇所あり、これは長い歴史の中で点々と場所を移動しながら「たたら製鉄」がなされたことの証左である。

★出雲地方の山間や沿岸部などでは、たたらの有り様が奥日野とは異なり、山内の様子もまた異なっている。

【日野町上菅 都合山山内想像図】

◆上のイラストは、明治31年の俵国一博士による調査記録、及び平成20年の発掘調査の結果を基に描いた想像図。

【立地と周辺環境】

風を遮る壁山や、動力などに利用する水源を備えており、山々は広葉樹がほとんど。山内には製鉄の神様、金屋子神の祠と桂の樹があった。

【施設・建物の配置】

高殿を中心に砂鉄置き場や炭倉庫、 元小屋や米蔵・ 味噌蔵が配置され、大鍛冶場、砂鉄洗い場、や鉄池、大銅場は水路でつながり、住居となる小割り長屋や菜園がその周りに配置されていた。西伯耆では大鍛冶場を備えている場合が多かった。




中心施設、高殿とその内部

★明治31年、俵国一博士の調査により、都合山の高殿の詳細な図面などが残されている。

★高殿の大きさは縦横が約19m、高さが約10m。 

★島根県雲南市吉田町の菅谷山内に唯一現存。 

★炉をはさんでふたつの天秤鞴、その周辺に砂鉄や木炭、土置き場、小部屋を配置。 

★炉の下には保温と防湿のための地下構造がある。


4本の「押立柱」はいずれも外側にわずかに角度をつけられ、鉧を出しやすくするために、後方の2本に対して出入り口側の2本の間隔が狭くされている。床は中央部が高く、屋内外側には砂鉄を置く「小鉄町」、 炭を置く「炭町」、炉を築くために使う土を 置く「土町」と言ったスペースや、村下他の 作業者が仮眠を取る小部屋がある。

伯耆の高殿は「丸打ち」

伯耆から奥出雲には大屋根の四方が丸い 「丸打ち高殿」が多く見られるが、島根県雲 南市の旧吉田村菅谷山内に現存する高殿 のように、四方が角の「角打ち」という形式もある。


高殿/10分の1模型



炉、天秤鞴、床吊り

天秤鞴(天秤鞴)

「吹子」とは人力の送風機のことで、たたら炉を高温で熱するために用いられた。能率的に鉄を採るには「還元性雰囲気」の中で、炉を砂鉄の熔融温度(約1400°C)以上に長時間保つことが必要。そこで、風(空気)を効率よく送るために、昔からいろいろな工夫がされてきた。ちなみに鞴を踏む者を「番子」と言い、三日三晩交代で作業した。これが「代わり番子」の語源となっている。

たたら炉の構造

炉の大きさは高さ約1.1m、 幅約1m、 長さ約3m。 長辺左右には空気を送りこむ「ほど穴」が20個前後、短辺にはノロ(鉄滓)を出すための排水溝「湯路穴(ゆじあな)」が3つずつ。炉は操業が終わってケラを出す際に壊される 。

床釣り(地下構造)

炉床の下には湿気を排除するための 「床釣り」と呼ばれる大がかりな地下構造を構築。(左図は一例)



鉄池〜大銅場〜大鍛治場

鉄池(かなち)

高殿で作られた鉧(けら)は外に引き出され、冷却される。高殿そばの鉄池で急冷されるものは「水鋼」、そのまま冷却されるものは「火鋼」と呼ばれた。

大銅場

鉧は不純物を含む様々な鉄成分から成り、それを砕破して分類する必要がある。まず大銅場で水車の力、あるいは人力で高く引き上げた分銅を落下させ、3〜5トンくらいある塊を割る。

小銅場(鉄打場)

小さな胴や鎚でさらに細かく割り、13~14種に選別。鋼や鋳物の原料となる和銑はそのまま販売、歩鉧など脱炭処理が必要なものは大鍛冶へ回し、ノロや木炭など不要なものは捨てた。



大鍛治場

★たたらに付帯した大鍛冶は左下場と本場からなり、炭素の多い和銑はまず左下で脱炭作業。本場では不純物を叩き出し所定の寸法に仕上げる。

大鍛冶の役割

「大鍛冶」は、「たたら」で生成させた各種の鉄を最終製品とする工程としてとても重要であり、近藤家のたたら場では大鍛冶が併設されることが多かった。

銑はそのまま鋳物などの原料となる場合もあったが、 大部分は歩鉧などと一緒に大鍛冶場で、加熱と鎚打ちをくり返して不純物を絞り出し、炭素量を調整して、幅広く使用できる錬鉄とした。

左下場と本場

大鍛冶内には左下場と本場と呼ばれる二つの火窪(ほくぼ)があり、「左下」と呼ばれる親方と「大工」と呼ばれる親方の指示で「手子」が働く。左下場では銑を炭素量を0.41.0%位にしてから小割し、左下鉄にする。本場では歩鉧や左下鉄をさらに鍛えて脱炭し、介在物(不純物)を叩き出して所定の寸法に仕上げ製品(割鉄/包丁鉄)にする。



砂鉄洗い場

鉄穴流しで採取された砂鉄は各所から運送され、たたら場に集荷されるが品質はさまざま。これを原料として使用するために、砂鉄洗い場で再度比重銑鋼をして、純度を85%くらいまで高めて高殿に持ち込む。

洗い終えた砂鉄を置くスペースは石垣で囲われ、ゴミなどが混入しないように配慮されている。



元小屋

事務方の手代が詰める建物。事務所。

各種倉庫

大炭を収納する炭蔵の他、できた製品を収める蔵、職人の給料とする扶持米(養米)や味噌などを入れる蔵などが配置された。

住居(小割長屋)

細長い建物をいくつかに分割して、従業員が住まいした。井戸や風呂は共用。厠(かわや=便所)は議定を結んだ集落が建て、そのし尿を引き取って肥料とした。