伯耆安綱ゆかりの地めぐり

国宝「童子切」、重要文化財「鬼切」を今日に伝え、反りのある日本刀の始祖と称される「伯耆安綱」。全国にその名を知られた平安時代の名刀工でありながら、その実相は まったく謎に包まれています。

『太平記』には「伯耆国会見郡に大原五郎太夫安綱というすぐれた鍛冶がいた」と記され、鳥取県の中〜西部には安綱やその一族(大原鍛冶)の伝承や痕跡が残される「大原」というところが数カ所。おそらくそのいずれかが安綱の居住地であり、それらすべての地で安綱の後継者たちが鍛刀したのだろうと考えられますが、その技術を秘伝としていたことから、確たる記録も残されておらず、今となればさまざまな想像を働かせるしかありません。しかしそれもまた楽し!!

安綱や大原鍛冶とはいったいどんな人たちだったのか?伯耆国・鳥取県の中西部に、その所縁ある各地を訪ねて伝承や痕跡を辿り、あなたもぜひその謎に迫ってみませんか。

 


安綱とその一門について、おさらい

「童子切」に代表される名刀を鍛えた「安綱」という刀工が実在した。


安綱及び一門について、解っている(と思える)こと

【直接証拠】

●「安綱」銘太刀が複数存在する。

 ※「姿」「地鉄」「刃文」の特徴、科学分析など。

 

【状況証拠】

●室町時代以降の刀剣関係文献に名物として登場している。

『観智院本銘尽』(1423)、『長享銘尽』(1488)、『鍛冶名字考(1452)、『享保名物帳』(江戸中期)など、『太平記』(1370年頃)

 

現在、ほぼ定説となっていること

●安綱は、平安時代初期、大同年間を中心に伯耆の国で活躍したと伝えられるが、作刀上からみると永延年間(987~989)ごろの刀工とされる山城・三条宗近、古備前・友成とほぼ同時代とする説が有力。在銘現存作のある最初期の刀工。

●安綱及び一門(真守など)による「古伯耆物」は、日本刀が成立した平安時代後期に作られた最古級の刀。真砂砂鉄の産地であり鉄生産が盛んな伯耆国(現・鳥取県中西部)で作刀されたとされる。

●「古伯耆」の刀工は、安綱、真守、有綱、安家、国宗、貞綱、真景など。

 

各論あって、今後解明が待たれること

●安綱を名乗る複数の襲名刀工がいたか? 特徴ある「安綱」銘。

 

●安綱及び一門の鍛刀の地はどこか?真守の「大原」銘から複数の候補地がある。


さまざまな仮説を元に制作!



「安綱とその一門」の伝承地

日南町下阿毘縁大原

伯耆国(鳥取県中西部)には、その安綱と一門の言い伝えを残してきた場所が何ヶ所かあり、その殆どは地名を「大原」としており、ここ下阿毘縁大原はその中でも有力な伝承地です。

八岐大蛇の尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が出顕したと伝わる船通山に近く、刀剣発祥の歴史が伺え、砂鉄や粘土・水にも恵まれ、周辺一帯は鳥上山・印賀など古くから極上の鋼の産地であり、安綱が居住していたとする有力な条件が揃っています。他、日南町笠木と花口にも「大原」地名があり、いずれもかつてはたたらを盛んに行っていました。

日野町上菅大原

伯耆国大原安綱は城もちの刀鍛冶として有名で、菅ノ城城下は鍛冶で栄え、その妻は心のやさしい美人であったそうです。村人が「御前さま」と呼んでしたっていたこの妻がなくなると、村人は小さな社を建てて祀り、「花ノ御前」と呼んでお参りし、今日までその習わしは続けられ、7月になると祭りが執り行われます。その小社はJR上菅駅のすぐ裏にあり、周辺には鍛冶滓(鍛冶によって出たカナクソ)を見ることができ、昔ここで鍛刀していたことを想像させます。

伯耆町八郷大原

むかし、ここ大原は会見郡と認識されており、「太平記」の記述とも合致し、現在「伯耆安綱鍛刀伝承地」という石碑が立つ場所は「荒神ブロ」と呼ばれて、往古大原安綱という日本刀の名匠が住まいし、刀剣を鍛えた所と言い伝えられています。

当地方では、神をまつる場を「フロ」と言い、番原の大躰神の伝承(大原開拓神話)は、神の加護を受けて鉄を打つ刀匠、すなわち神聖な職人の存在にイメージが連なるものです。その他「女人禁忌の巨石の伝承」などが残されています。



米子市日下

平安時代、伯耆國会見郡大原(日下鄕大原)が実在。それが当地であり、伯耆安綱の子孫である松本家、沢口家によって江戸時代に建立された供養塔碑文や、日下神社の社伝、瑞仙寺の釣鐘の刻印などに安綱の伝承が残されています。また沢口家から伯耆安綱の系図が見つかっており、昭和62年には米子市が、松本家の敷地内を発掘調査し、鍛冶場跡を確認するなどさまざまな証拠が揃っています。また前述の八郷とは直線距離で約1里(4km)ほどで、この2ヶ所をひとつとして考えることもできそうです。

倉吉市大原

当地は伯耆国河村郡に在りますが、文化3(647)年に大原神社建立の伝承があるなど、太古から重要視されていたところで、7〜8世紀には既に、大原他の地名が歴史上に表れ、国府や国庁が置かれて古代の地方政治の拠点でもありました。大原には「真守屋敷跡」の伝承地があり、周辺からはたたらを吹いた場所も残っています。また室町時代末期から江戸時代中期まで活躍した、「廣賀(ひろよし・ひろが)」と呼ばれる刀鍛冶集団があり、安綱に始まる作刀の伝統を受け継いだものとも考えられます。

伯耆安綱”げな”談義(資料)

2018年8月に「安綱伝承地」の関係者が初めて一堂に会して、情報共有の機会を持ちました。その際の資料を公開します。



周遊コース(例)

 

米子から出発 →(R180南部町経由)

→①日南町阿毘縁大原→(矢戸からR183→180経由)

→②日野町上菅→(R181)

→③伯耆町八郷大原

→④米子市日下→(山陰道)

→⑤倉吉大原

※あるいはその逆コース