伯耆国たたら事典


■奥日野のたたらの歴史


さくっと概要

砂鉄を原料、木炭を燃料とした日本古来の製鉄法「たたら」。良質な砂鉄が採れる奥日野は昔からその主産地でした。膨大な物量や人を動かし、多くの人々の生活を支えた巨大産業でしたが、鉄鉱石や石炭を使う西洋式製鉄には太刀打ちできず、大正10年、奥日野のたたらの炎は全て消えていくこととなりました。

日野郡のたたらの歴史

野鑪(のだたら)で鉄づくりが行われた昔から、江戸時代には鳥取藩や幕府の鉄山政策に翻弄され、多い時には30もの鉄山師たちが群雄割拠したものの、やがて過当競争の中で淘汰されて、奥日野のたたら製鉄は明治以降、近藤家に集約されました。殖産興業で鉄需要が高まる中、蒸気機関などを導入して安価な西洋鉄に対抗し、日本の近代化を支えました。



鳥取藩の鉄山政策

隣の松江藩が、たたら経営者を9軒と定めたのに対し、鳥取藩は事業意欲ある者の操業を認め、大坂ではなく江戸に鉄を回すようにしたり、境港に鉄山融通開所を設置したりと、産鉄の流通や販売を促進する政策を採りました。そのため奥日野では多くの鉄山師が割拠することになりますが、結局多くが淘汰されることになりました。

奥日野の鉄山師たち

大きな資本力を要するたたら経営。江戸時代には日南町阿毘縁の木下家、生山の段塚家、大宮の段塚家、日野町黒坂の緒形家、さらに根雨の手嶋家(松田屋)など、有力な鉄山師が地域の政経の中心として有りましたが、明治以降は近藤家(下備後屋)に集約されることとなりました。



根雨の松田屋(手嶋家)

江戸回鉄御趣向期間中に日野郡内で最大の産鉄量を維持し、最も勢力があったのが根雨の松田屋です。しかし幕末となり、自家鉄山運営のための資金不足の他に、郡内鉄山師の経済力を維持するための借財、また在方郡役人として貢納等諸賦課(税金)の立て替えなどによって、急速に財力を失い、その後の消息は伝えられていません。

近藤家のたたら経営

安永8年(1779)、日南町山上村笠木の谷中(たんなか)で鉄山を始めた近藤家(下備後屋)。その後大阪に直販店を設けて全国に製品を流通させ、明治期には安価な西洋鉄に対抗するため福岡山に近代工場を開業し、優れた経営手腕で堅実にたたら経営を行い、いよいよたたら廃業に際しては、経営の多角化で軟着陸を果たしました。



近藤家の経営理念/歴代当主

多くの鉄山師が割拠した中で、近藤家が唯一、最後まで鉄山を経営し続けられたのか。合理的な経営を心掛け、また地域との協調を何より尊重し、広く優秀な人材を求めたことなど、その一貫した経営理念を考えます。また歴代当主が傑出した経営者としてあり、初代から七代までそれぞれの功績を紹介します。

『鉄山秘書』と下原重仲

その多彩で詳細な内容から、たたら製鉄研究では必読書とされる天明4年(1784)の書「鉄山秘書」。著者は伯耆国宮市村(現江府町)の鉄山師、下原重仲。一子相伝とされるたたらの詳細を、なぜ重仲は書物として書き残したのか。近年の調査で次第にその謎が解け始めています。

近藤家文書「孝行者抜擢書」

時は江戸時代天明の頃、たたら経営に破綻を生じ、失意の末、郷里の日野郡を離れ、放浪の旅に出かけた父(下原重仲)を探して、倅の恵助が十数年後、やっとその父を連れ帰ったという物語です。



■たたら製鉄の実際


砂鉄(鉄穴流し)

花崗岩などにわずかに含まれる砂鉄を原料とした「たたら製鉄」。操業1回に使う砂鉄はなんと14〜15トン。それを調達するために行われたのが「鉄穴流し」。山肌を掻き落として水路に流し、比重の差を利用して砂鉄を採取しました。この作業は多くの労力を要し、大規模な地形の変造を促すことになりました。ここではその詳細を解説しています。

木炭(炭焼き)

たたらは1回に14〜15トンもの大量の木炭を「燃料・還元材」として必要とし、砂鉄に比べてかさ高な木炭の輸送にはよりコストを要したので、たたら場周辺の森林を伐採し尽くすとたたら場そのものを別の場所に移動。30年くらいの周期で森林が再生すると、また元の場所に戻るといった形で営まれました。



山内と製鉄施設

かつてたたら製鉄を行なっていた山内(さんない)や建物などは今、見ることはできませんが、文書に残された記録や発掘調査などによって、往時の様子が次第に明らかになってきています。大掛かりな地下構造をもつ中心施設の高殿や、鉧を砕く銅場、製品を仕上げる大鍛冶場などの詳細を解説しています。

操業の手順

村下が厳選した土で製鉄炉を作るところから始まり、火を入れて温度を上げ、炉内の状況を見ながら機に応じて調合した砂鉄を投入し、鞴(ふいご)を踏む番子に指示を出して風力を調整し、4日目の朝、炉を壊して鉧を取り出す。全ては経験則で鉄づくりを行なっていたそのプロセスはとても興味深いものです。

たたらの女神、金屋子神

製鉄の化学的原理などが解明されていなかった昔、良い鉄を得るためには信仰が不可欠でした。中国山地のたたら場では必ず祀られ、今も鉄鋼に関わる人たちの信仰を集め続け、珍しい禁忌がいろいろある「金屋子神」の伝承を紹介します。




■鉄に関する基礎知識


人類と鉄・製鉄の原理

地球の質量の3分の1を占める鉄。地表にある「酸化鉄」を還元によって鉄とし、人類は文明の発展に利用してきました。製鉄が始まってまだわずか4千年足らず。ここでは製鉄技術の伝播や、その原理を解説します。

現代の製鉄

現代文明になくてはならない鉄。しかし同じ「鉄」 と言っても実際には炭素をはじめとするいくつかの物質を加えて、さまざまな性質のものが作られ、それらの特性を活かした使い方がされています。今日、鉄がどのように作られ、使われているのかを考えてみます。




たたら Side-Book A to Z

平成24年度、文化庁の助成を受けて制作した小冊子です。

冊子の方は在庫がなくなってしまいましたので、ここで公開させていただくことにします。

たたらとその周辺のことを網羅的に記載していますので、興味があるところから拾い読みをしていただくのも良いかと思います。

※無断転載などはくれぐれもご遠慮ください。




たたら用語辞典

「たたら」では、日野地方の方言も交えて独特の言葉が使われ、用語の読み方や意味がわからないことから「たたら」そのものが理解しにくくなっているということがあります。

ここでは用語をアイウエオ順に並べていますので、不明な言葉が出てきたら気軽にその都度、調べてみてください。



たたら検定模試に、いざチャレンジ!

難しい問題もあればカンタンなのも。さあ、何問できるでしょうか?